カウンセラー紹介

心理カウンセリングルーム 柳樹(リュウジュ) 院長 土居 剛 と申します。

高知県高知市生まれ。関西大学社会学部卒業。ハローワーク、SNS相談、乳児院などで対人支援を行い、これまで500人以上へカウンセリングを実施。

10年間にわたり、心理学やコーチング、自己啓発などを学んで習得したカウンセリングメソッドで、相談者さんひとりひとりにじっくり寄り添ったサポートがしたい、という思いから心理カウンセリングルームを開業しました。

アダルトチルドレン、発達性トラウマをはじめとした心のお悩みをもつ方からの相談を受けています。

保有資格など

  • 国家資格キャリアコンサルタント
  • 認定心理士
  • 産業カウンセラー
  • SNSカウンセラー
  • 日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー
  • メンタルヘルス検定Ⅱ種
  • 魔法の質問認定講師(コーチング資格)
  • ハナサクパートナー(コーチング資格)
  • 2020年よりOfficePome山口修喜氏に師事。3年間、トラウマセラピーのトレーニングを受ける。
  • 2017年より高知SFAにて猪野久子氏に師事。6年間、ソリューション・フォーカスト・アプローチのトレーニングを受ける。

カウンセリングで利用する心理療法に関して

  • ソマティックサイコセラピー
  • ポリヴェーガル理論に基づく神経系アプローチ
  • 内的家族システム療法に基づくパーツ心理学アプローチ
  • フォーカシング指向心理療法
  • ソリューション・フォーカストアプローチ
  • コンパッション・マインド・トレーニング
  • 認知行動療法
  • マインドフルネス

・・・とここまではなんだか凄い人のように思われるかもしれませんが、実際はそのようなことはなくて、いろいろと辛い過去を歩んできました。もう少し詳しく自己紹介をしたいと思います。

大人の顔色をうかがう良い子の幼少期

両親が共働きだったので、僕は生まれて間もない頃から祖父母の家に預けられていました。

小さい会社の経営者でもあった祖父は、将来の跡取りとして僕に大きな期待を寄せていて、その期待が言葉や表情から滲み出ているのが幼い僕にもわかるくらいでした。

祖父母には女の子(僕の母親)しかいなかったので、祖父が何がなんでも自分の起こした会社を継がせたいと思っていたのは、今でこそ客観的に受け止めることができますが、幼稚園に行く前の歳の子どもでもわかるくらいってすごいですよね(笑)

祖母はとても心配性で、僕に何かあってはいけないと過剰に干渉してきました。
いつも行動を監視されているようで気が抜けません。

また、感情の起伏が激しく何かの拍子にヒステリックになるので、機嫌を損ねないように言葉や行動に気をつけないといけませんでした。

毎朝母親に連れられて祖父母の家に行くのが憂鬱で、「ほんとはお母さんと一緒にいたいのに。」という想いをグッと我慢していました。

母親からの「おじいちゃんとおばあちゃんの言うことをよく聞いて良い子でいてね」という言葉を忠実に守らなければいけないとも思っていたので、祖父母の顔色を伺いながら良い子でいるようにすることが僕にとっては大事なことでした。

幼稚園に通い始めると、幼稚園でいじめられてしまいます。
いつも泣いていたので「どいよわし」というあだ名をつけられてしまいます。

自分の名前が嫌いで、自分の境遇、過敏さに苦しんだ幼少期でした。

ちなみに僕のようにありのままの自分を出すことが許されない環境の中で幼少期を過ごして大人になった人をアダルトチルドレンといいます。

比べられる日々 落ちこぼれ小学生

小学校は祖父母の意向で、地元の小学校ではなく、大学に付属されている小学校に入学しました。

地元の友達と離れて、一人だけ違う小学校に行くことが本当は嫌でしたが、わがままを言って両親を困らせてはいけないと思い我慢しました。

僕は暗算が苦手で、引き算は手指を使わないとできませんでした。
ですが、先生からは「手を使ってはいけない」と禁止されました。

それでも隠れてやっているとクラスメイトが見つけて先生に告げ口され、先生から怒られました。
算数の成績は低下し、僕はすっかり算数ができなくなっていきました。

小学校3年からの2年間は、男子4人、女子4人の少人数クラスに入りました。
どういう基準で僕が選ばれたのか今でもわかりません。

他の男子3人は勉強もスポーツもトップレベルにできる子たちで、その子達と対等に渡り合えず、いつも最下位でした。

頻繁に行われるテストのたびに点数を読み上げられ、他の3人と比べられました。
どんなに頑張っても差が縮まることはなく、自分のできないところばかりに焦点があたってしまう状況でした。

祖父母や両親の期待に応えられないことを責めて、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

また、担任の先生がとても厳しく、毎日誰かが怒られて平手打ちをされているような環境でしたので、常に緊張した状態で、いつ先生が怒り出すのかビクビクしながら過ごしていました。

当時は体罰に寛容的な時代でしたが、今だったら大問題ですよね。

「学校に行きたくない」という言葉が何度も口から出そうになりましたが、妹が同じ小学校に入学してきて、お兄ちゃんとして妹の世話をすることも期待されていたので、それを口にすることもはばかられ、憂鬱な気分で通い続けるしかありませんでした。

チームがまとまらない情緒不安定キャプテン

小学校、中学校と不甲斐なかった自分を変えようと一念発起してラグビーに挑戦。
2年生のとき、キャプテンになるはずだったチームメイトが停学処分になってしまい、自分に白羽の矢が立ちました。

人の顔色が気になってはビクビクしてしまう、、当時の僕には、部員をまとめるキャプテンはとにかく重荷でした。 

でも、監督と先輩が決めたことですので断ることはできません。
僕は自分の温厚な性格とは真逆の先輩キャプテンたちを真似てやっていくしかありませんでした。

声を張り上げ、強い口調でチームメイトを鼓舞する。もう1人の違う僕を作らなければいけませんでした。

もともとリーダーシップに優れていた訳ではありませんから、当然チームがぜんぜんまとまりません。
それぞれが言いたい時に、自分の正しさを主張します。
練習内容で対立し、練習がストップすることもしょっちゅうでした。

なので、試合にも勝てません。
これまで格下だった相手にボロ負けしたり、試合中にチームメイト同士がミスを責め合って空中分解寸前までいったこともありました。

そんなチーム状態なので僕はいつもイライラしていました。
ちょっとしたことで怒りが湧き起こり、周りにその怒りをぶつけ、後輩や友人を傷つけてしまうことが何度もありました。

今できることなら当時のことを謝りたいと思っています。

今思えば、ひとりで責任を背負い込んでいたことや、本来の自分とは違うキャプテンの仮面を被っていたことによる自己の不一致も、情緒不安定になってしまった要因になっているなと思います。

ただ、当時は僕自身もどうしていいのかわからず、キャプテンとしての役割を必死に果たすしかなかったんですよね…

大学一年生の春 不安のどん底に

将来の進路や仕事にまで影響を与えてくる祖父母から離れたい一心で大阪の大学へ進学しました。
「ようやく自由に生きることができる」と希望に胸を膨らませていました。

しかし、その希望は崩れ去りました。
入学してすぐに学力テストがあり、僕にはそれが難しくてほとんど解けませんでした。

それだけでもショックなのに、周りの「簡単だった」という声が耳に入り、「学力の無い僕がこれから4年間やっていけるのだろうか」と強い不安に襲われました。

さらに追い打ちをかけるように、左腕が突然痺れて動かなくなる神経の病気を発症。
当たり前にできていたことができなくなったショックは大きく、ひどく落ち込みました。

将来に希望が持てず何をするにしても不安が付き纏い、外出することも減りました。
他の同級生のように活動的にできない自分を責めて、うつ状態に。
大学の心理相談室で心理カウンセリングを受けながら、授業に出るのが精一杯の日々を送りました。

その後、カウンセリングのおかげでうつ状態から抜け出したものの気分が安定することはなく、躁状態とうつ状態を繰り返すようになっていきました。

大きな環境の変化は、知らず知らずのうちに大きなストレスかかっています。
大学進学、初めての土地、初めての一人暮らしという大きな変化でストレスがかかっている中での失敗や病気の発症が、メンタル不調に陥る引き金になってしまったんですね。

就職活動からドロップアウト 行き着いた先はブラック企業

大学三年生になると、就職活動が始まります。
あいかわらず人の顔色が気になってはビクビクしていましたし、精神的に不安定な状態を続けていた僕にとって就活は苦行でしかありませんでした。

企業説明会に行くと、会場にいる全ての学生が「できる人」に見えて、急に不安が襲ってきて気分が悪くなり、途中退出することもよくありました。

集団面接の時には、面接官から厳しい言葉をかけられてフリーズしてしまい、しばらく立ち直れないくらい落ち込みました。

カウンセリングに通ってもなかなか就活に足が向かず、ドロップアウト。
就職先が決まらぬまま卒業することになりました。

「高知には絶対に帰りたくない!帰ってしまったら祖父母の思うつぼになる」という強いこだわりがあったので、大阪に残り非正規雇用の仕事を続けました。

でも、頑張り過ぎては鬱状態になって転職することを繰り返し、ひとつの会社に定着することができませんでした。

精神科に通ってお薬をもらい、なんとか仕事を続けられるように気をつけてはいましたが、結果的にはうまくいきませんでした。

30歳の時に念願叶って正社員になれるチャンスを手にします。
しかし、入った会社はいわゆる「ブラック企業」でした。

入社してまだ右も左もわからない状態で大量の仕事を押し付けられ、先輩や上司から毎日のようにパワハラを受けました。

「お前はバカか!?」「この給料泥棒が!」などと人格を否定されるような言葉もたくさん浴びせられました。

辛過ぎてトイレでよく泣いてました。
食欲が無くなり、体重も減り、髪の毛も抜けました。

「もうこのままでは自分がダメになってしまう…」あまりの辛さに3ヵ月で会社を辞めることになりました。

会社を辞めた日、「なんでこんな辛い人生を歩まないといけないのだろうか」と、涙を流しながら家に帰ったことを覚えています。

心理療法との出会い 世界が変わって見えた

精神科や心理カウンセリングに通いながらも、なかなかメンタル不調が改善しないでいた僕の回復へのきっかけとなったのが、知人から紹介された心理学スクールに足を運んだことでした。

来られている人には僕と同じようにメンタル不調に悩んできた人も多く、お互いのしんどさを理解し合って、誰からも非難されたり馬鹿にされたりしない安心感がありました。

安心してその場にいることができたので、人の顔色が気になってはビクビクするということもほとんどありませんでした。

また、講師の先生のお話しがとても面白く、たくさん笑いました。

「こんなに心の底から笑ったのっていつ以来だろう」と思うほどで、心の中に重く垂れ込めた分厚い雲の隙間に強い光が射し込んで断ち切っていくような感じがしました。

「笑い」はうつ病の治療に取り入れる医者もいるくらい、メンタルヘルスの問題の解決に欠かせないものなんですよね。あの頃の僕にはたくさん笑うことが治療にもなっていたんですね、きっと。

そして、学んだ心理療法のひとつひとつを日常的に実践していくことで、物事の受け止め方やコミュニケーションの取り方が変化し、着実に生き辛さが解消されていきました。

「最近よく笑うようになったね」と友人に言ってもらった時は、「ヨシ!」と心の中でガッツポーズをしました。

そのような中で、大学に入学して以降避け続けてきた祖父に、「後を継がずに自分の選んだ道を歩ませて欲しい」と気持ちを伝え、認めてもらうこともできました。

「これでようやく僕は自由の身になれたんだ」と嬉しさが込み上げて、思わず涙がこぼれました。

少しずつ好不調の波が小さくなり、比較的穏やかに過ごせる日々が続くようになっていきました。
仕事も長続きするようになっていき、精神科に通うことも卒業しました。


メンタル不調になってから12年ほどの月日が流れていました。

この心理学スクールに通ったことが、心理カウンセラーを目指すことになる原点になります。

知人が紹介してくれなければ、あのまま精神科に通い続けていただろうし、今の僕はありません。知人には本当に感謝しています。

乳児院で働く中で明るみになった心の傷と愛着のあり方

心理学スクールで学んだことを活かして仕事がしたいと思い、様々な理由から家庭で養育することができない乳幼児を預かる施設「乳児院」で働き始めました。

「これまで学んできた心理学の知識や技能を使って仕事ができる!」と意気揚々で就職したのですが、実際はそんなに簡単なものではなく、一年目は悲惨でした。

僕はひとりの男の子の担当になりましたが、うまく関わることができません。
抱っこを求めて来られる度になぜか鬱陶しいという想いが湧き出てきます。

「甘えたらいかん!」「わがままを言ったらいかん!」と言われて辛かった幼少期の思い出がフラッシュバックしてきてイライラして冷たい態度を取ってしまいます。

心理学を仕事に活かしたくて就職したのに、男の子の気持ちを理解しようとするどころか、幼い頃の自分がされたことと同じことをやってしまっている…。

メンタル不調からは回復したものの、心の深いところにある傷はまだ残ったままだということに愕然としました。

男の子への対応に苦悩する日々。
いろいろな育児書を読んで試しては失敗の繰り返し。

「僕にはこの仕事は無理なのか・・・」そう諦めかけていた時、先輩が誘ってくれたセミナーで[乳幼児にとって大事なのは養育者との抱っこやおんぶのようなスキンシップを通しての愛着の形成]であることを知りました。

そして「たしかに僕は辛い幼少期を過ごしてきた。だからといって、同じ辛さを彼に味わせてはいけない。」と強く思いました。

その日を境に、男の子とのスキンシップを積極的にとるように心がけました。
自分の中から嫌な感情が出てきて辛い時もありましたが、彼を拒絶してしまった時の後悔に比べると小さいものに思えました。

何度も繰り返すうちに、だんだん僕の心境が変わって来るのがわかりました。
嫌な感情が出てくることがほとんどなくなり、それに変わって少しずつ彼を愛おしく感じられるようになっていったのです。

繰り返し抱っこをしていく中で愛着が形成されていくとともに、幼少期の僕が受けた心の傷が癒やされていったのだと思います。

愛着の大切さを身をもって体験できたことはその後、アダルトチルドレンの方へのセラピーを提供する心理カウンセラーとして活動していく上でとても役に立っています。

最高の師に出会い起業を決意

乳児院での経験から興味を持ち始めたのがトラウマ(心の傷)のセラピーでした。
でも、具体的にトラウマセラピーがどんなもので誰に教えてもらえるのかわからないまま月日だけが流れていました。

そんなある日、カウンセラーの先輩から「カウンセリングの練習相手になって欲しい」とお願いされてやってもらったのがトラウマセラピーでした。

今まで僕が学んできた傾聴中心のカウンセリングとは全く違う、からだの動きや感じにアプローチしていく手法に衝撃を受けました。

「これこそ僕が求めていたものだ!」と直感的に思ったので、先輩にお願いして先生を紹介してもらい、トラウマセラピストのトレーニングを受けることになりました。

先生はトラウマセラピーの第一人者でしたが、初心者の僕に対してとても丁寧かつ熱心に教えてくれました。

トレーニングを続けていく中で、心の傷は幼少期に限らず、これまで生きてきた過程でいくつもあることがわかりました。

…っと、ここまで幼少期、小学校、高校、大学、社会人のそれぞれを振り返ってきて、改めてそれだけの傷を抱えてよく頑張ってきたなぁって思います。笑

「自分のトラウマを解放しないままに、誰かにセラピーを提供できるわけがない」という思いから、トレーニングで教わったテクニックを積極的に自分に施していくようにしました。
時には先生にセラピーをしてもらうこともありました。

そうやって自分の心の傷を丁寧に癒していくと、今まで以上に自分が変わっていくのがわかりました。
思考や感情をそのまま受け止めることや、からだの状態をモニタリングして上手に休むことができるようになりました。

周囲にも僕の変化が見てとれたようで「なんだか前よりもさらに優しくなったね」と言われるようになり、トラウマセラピーの効果を実感することができました。

心の傷を癒し、心とからだを整えていくと、自分のやりたいことが明確になっていきました。

「心理カウンセラーとして、自分と同じような心の病や悩みを抱えてしんどい思いをしている人を助けたい」

そう強く思いました。

そして、先生や一緒に学んだ仲間の後押しもあり、故郷の高知で起業することを決意しました。

三十にして立つ、ならぬ、四十にして立つ ですね。

カウンセリングルーム柳樹-リュウジュ-を主宰

現在、カウンセリングルーム柳樹-リュウジュ-を主宰し、これまで僕が学んで実践してきたカウンセリングメソッドを使ってアダルトチルドレンや発達性トラウマなどの心お悩みを抱えた方へカウンセリングを提供しています。

柳樹という名前には、
「現代社会ではストレスから逃れることは難しい。でも、そのストレスをまるで柳の木のようにしなやかに受け流す方法を身につければ、誰だって自分らしく強く生きて行くことができる。それが可能になるセラピーを提供していきたい。」
という願いを込めました。

また、自分自身がカウンセリングを受ける中で、

「なかなか気持ちを言葉にできないでいると、痺れを切らしたかのように、一方的にカウンセラーの考え方やアドバイスを押し付けられて辛かった。」

「辛いときに自分の考えや満たされなかった思いを話したら、共感してくれないどころか、自分に原因があるとはっきり言われひどく傷ついた。」

という思いがあったので、相談者さんのありのままを認めながら、気持ちに寄り添うカウンセリングを心がけるようにしています。

そのうえで、カウンセリングを卒業しても相談者さんご自身で問題が解決できることや症状の再発を防ぐことを目的としたメンタルトレーニングの手法をお伝えし、自分らしく楽に人生を歩んでいっていただけるようにサポートすることを大事にしています。

僕も「相談者さんにアドバイスをするのであれば、自分の心のケアができていないと全く説得力がないのではいか」と思いから、相談者さんにお伝えしたメンタルトレーニングを一緒に続けていくようにして、ストレスをためないで毎日が楽しく過ごせるように心がけています。

今後のビジョンは、

「かつての自分が、心理学と出会って救われたように、これまでがどれだけ生き辛かったとしても、何歳になってからでもやり直せるということを、一人でも多くの人に感じてもらえること」です。

それを目指して、日々カウンセリングをしています。

いま、あなたが何かしらのお悩みや問題を抱えていらっしゃるのであれば、一人で抱え込まずに、また決してあきらめずに、ぜひ僕に相談してくださいね。

きっと、新しいあなたに生まれ変わる未来が待っている!と心から信じています。

土居 剛 

 

はじめての方は体験カウンセリングから

ここまで読んでくださってありがとうございました。

「カウンセリングを継続して受けて悩みを解消していきたい」

と思っていただいた人には、初回体験カウンセリングをオススメしています。

継続して受けようと思っても、やはり不安はつきもの…
いろいろな不安が先に立って、結局、今のままでいることを選んでしまうことは避けたいですよね。

この機会を利用して、カウンセラーとの相性や、心理療法がご自分に合っているかどうかを確認する機会にしていただけると嬉しいです。

初回体験カウンセリングは、

通常90分:15,000円のところ、90分:7,000円
でご提供させていただいております。

また、無料動画講座にご登録いただいた方には期間限定で
通常90分:15,000円のところ、90分:3,000円
でオンラインでご提供させていただいております。

高知市で 対面でのカウンセリングをご希望の場合は、ルーム使用料をご負担いただきますので、
90分:5,000円
で受けていただけます。

ぜひ、無料動画講座を受講いただいてから、初回体験カウンセリングへお申込みいただくことをオススメいたします。

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